亜細亜大学・山﨑郁美選手 海外遠征やカラダ作りで得た新たな気づき 未来の自分を明確にイメージして一日一日をしっかりと積み重ねていく【テニス】

母親の影響でテニスを始め、小学生の頃には市民大会で優勝するなど、幼い頃から競技に力を入れてきた山﨑郁美選手。大学入学時にはすでに「プロになりたい」と明確な目標をもちながらも、コロナ禍で思うような強化ができない時期も過ごした。一方で課題克服やカラダ作りなど、自分と向き合う貴重な時間にもなったという。

海外遠征を経て、あらたな気づきやレベルアップの重要性も痛感。昨年10月には激戦を乗り越えて見事インカレ王者にもなった山﨑選手はいかに成長したのか。じっくりとお話を伺いました。

山﨑郁美選手のプロフィール

亜細亜大学 テニス部 山﨑郁美

やまざき・いくみ 2001年8月24日千葉県生まれ。秀明八千代高 等学校出身。幼稚園でテニスを始 める。高校3年時のインターハイではシングルスでベスト8。大学では1年時にインカレシングルスベスト4、2年時ベスト8、3年時に優勝。2022年10月の牧之原国際レディースオープンテニスでは、シングルスで初優勝を果たし、同月の浜松ウイメンズオープンでも準優勝した。

インターハイの団体戦で戦った経験が
私を強くしてくれた

テニスを始めたきっかけ

―まずはテニスを始めた時期ときっかけを教えてください。
「テニススクールに通っていた母の影響で、最初は遊び感覚で始めました。それが幼稚園の年長の時。いつ本格的になったのかはあまり覚えていないんですが、気づいたら一生懸命練習をしていましたね。ただ、なかなか結果が出なかったんです。中学2年の時に所属クラブを替えたことをきっかけに、やっと結果が出るようになって。そのクラブの1つ上の先輩には、現在プロで活躍する西郷里奈選手がいて、彼女が取り組むことを真似してみたり、積極的に練習を誘ってみたりするうちに少しずつ変化していきましたね。そして中学3年で初めて関東大会に出場することができました」

―高校1年生では初めて全国大会にも出場されています。
「1年生の時から団体戦のメンバーでインターハイには出させていただいたんですが、高校3年生で目標としていた個人戦にも出場することができました。ただ、それは1、2年生と団体戦で培った自信や県予選からプレッシャーのかかる試合を何度も経験してメンタルが鍛えられていたからこそ。団体戦が私を強くしてくれたと思っています」

いろいろな人に支えられたことを
実感した海外遠征

世界で戦うための大学選び

―亜細亜大学に進学を決めた理由は何だったのでしょうか。
「大学では自主性が重んじられ、学生が主体となって活動しますが、もちろんそういった要素がありながらも、亜細亜大学では二人三脚というか、みんなの力を借りながら活動していくスタイル。まだ自分の力だけでは成長するためには限界があると感じていましたし、将来は世界で戦いたいという思いが強かった。そのためにはコーチやスタッフが絶対に必要だど感じていて、その環境が整っている亜細亜大学への進学を決めました」

―大学入学後は環境も変化したと思います。また、コロナ禍で活動する上で、大変なことも多かったのではないですか。
「1、2年生の頃は新型コロナウイルスの影響で試合数を積むことはできませんでした。ただ、だからこそ自分の課題と向き合って、今日の練習ではこうしていこうとか、今月はここを重点的に補って行こう、この時期までにこのプレーができるようにしようなど、コーチと常にフィードバックしながら、練習を積むことはできていました。数少ない大会でも結果を残すことができたのは、そういった日ごろの積み重ねがあったからだと思います」

―大学2年の冬からはようやく海外遠征にも行くことも可能になりました。
「そうですね。できればもう少し早い段階から行きたかったんですが仕方ありません。海外遠征は移動やホテル、練習コートの手配などもすべて一人で行って、自分はいろいろな人に支えられていることに気づきました。プレー面でも、海外でも通用すること、しないことも明確になりました。テニスはコートの中に入ると周囲からアドバイスをもらえない競技です。“今はこの戦術が必要だ”など、試合中に自分で選択することが、よりうまくできるようになったのは海外遠征で成長した点ですね」

―昨年はインカレの女子シングルスで優勝を果たすなど、以前にもまして自信が大きくなっているのではないですか。
「インカレで勝つまで、ほとんど結果を残せていませんでしたが、昨年6月にコーチと先輩とでインド遠征に出た時に、自分のプレーの軸を見つけたんです。パワーは外国人選手に勝ることは難しいですが、どれだけ長い試合になっても最後までボールを追い続けられる脚力は対抗できる。そういった強みを活かして、コートの後ろから外国人にも負けないパワーでボールを返し続け、浅くきたボールに角度をつけ、相手コートに決める。その遠征で、ヒントをつかめたことで、自信を持ってインカレに臨むことができたんです。優勝できた時は、間違っていなかったと実感することができましたね。ただ、ランキングが上がって高いレベルの試合にも出られるようになって、そのレベルをもっと上げないと世界では戦えないことも痛感しています」

カラダを正しく使えるよう柔軟性を高めて
怪我なく戦えるようになった

山﨑選手のカラダ作り

―今、テニスを続けるうえで心の支えやモチベーションになっているのは何でしょうか。
「昔から、テニスはもちろんですが、それ以外の日常生活においても、昨日の自分より何か1つでも成長したいと考えています。どんな些細なこともいいんです。それはこれから先も大事にしたいところです」

―カラダ作りで日ごろから大切にしていることはありますか。
「普段は17時~19時半で練習を行います。その後、ウエイトやダッシュ系のトレーニングを日替わりで行うのですが、ランニングは毎日欠かさないですね。試合前の調整もあまりなく、通常で5km、試合期でも3km は走っています。テニスはオフがないスポーツで年中試合があるので、日々トレーニングを積むことが必須なんです。あと、私は1、2年の頃に怪我が多かったので、3年以降は大学での練習以外にパーソナルトレーニングに通って、基本的なカラダの使い方や筋肉を正しく使えるように柔軟性を高められるようにシフトしました」

―カラダの変化を感じますか?
「そうですね。連戦も怪我なく戦えているのはそのおかげだと思います。昨年9月のリーグ戦時に、連戦で毎日筋肉痛になった時に後輩に相談したところ、アミノ酸を薦められました。飲んでみたら次の日の朝、すごくカラダが軽くて。試合前に飲んだ時は後半も粘り強く動けるようになりました。プロテインも摂取していますが、食事に関してはまだまだ改善できる部分も多いと感じます。栄養の知識を身につけて、パフォーマンスにつなげていきたいと強く感じています」

山﨑選手のある一日のスケジュール

大学での目標と同世代アスリートへメッセージ

―大学生としてラストイヤー。今年の目標を教えてください。
「今年もインカレ出場はもちろん、シングルス、ダブルス、そして団体戦でも優勝したいです。将来的には、日本を代表する選手になっていつか世界のトップ50に入れるように。そして、テニスで結果を出したいのはもちろんですが、錦織圭さんのように一アスリートとして尊敬されたり、目標としてもらえる人間になりたいです」

―最後に同世代のアスリートにメッセージをお願いします。
「自分にも言えることですが、目標は1週間、1カ月、1年後、10年後……としっかりと決めることが大切です。目標があれば、それを達成するために自分は何をしなければいけないのかが明確になる。先のことは分かりませんが、まずは一日一日、今自分ができることを積み重ねていくことが重要だと思います」

※「アスリート・ビジョン#30」掲載/この記事は取材を行った2023年5月時点での情報です

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